概要
鮮卑の拓跋珪が国を再興し、平城(大同)を都にした。五胡十六国の混乱を53年後に統一する王朝で、以後150年、華北は鮮卑の王朝が治める。
場所
平城
40.09°N 113.29°E · 中国・山西省大同市(北魏の都)
40.09°N 113.29°E · 中国・山西省大同市(北魏の都)
本文
拓跋部は鮮卑の一部で、 内モンゴルの草原から山西の北へ移ってきた。 315年に代王に封じられ、376年に前秦に滅ぼされた。 苻堅が淝水で負けた3年後、 拓跋珪が16歳で部族を集め、代王を称し、 同じ年に魏と改めた。
盛楽から平城(いまの大同)へ都を移したのは398年。 漢人の官僚を使い、部族を解散させて戸籍に入れ、 兵は残した。 南の後燕を破り、河北を取った。
拓跋珪は晩年、寒食散を飲んで狂い、 人を殺し、409年に息子に殺された。 その孫の太武帝が439年に華北を統一する。
北魏は148年続いた。 鮮卑の王朝で、仏教を弾圧し、それから仏教を国家の宗教にし、 雲岡と龍門を掘り、 孝文帝が漢化し、 それを恨んだ北の兵が反乱して東西に割れた。 その東魏・西魏から北斉・北周が出て、 北周から隋が出る。 隋も唐も、この鮮卑の王朝の中から育った貴族の家になる。