概要
草原から来た騎馬集団が黒海北岸のゴート人を押し出し、その玉突きがローマの国境に達した。ヨーロッパの民族の配置が、この数十年で塗り替わる。
場所
黒海北岸の草原位置は特定されていない(誤差 ±500km)
47.50°N 34.00°E · ウクライナ・ロシア南部(スキタイの活動範囲)
47.50°N 34.00°E · ウクライナ・ロシア南部(スキタイの活動範囲)
本文
375年に何が起きたのかを直接書いた史料は乏しい。 分かっているのは、黒海北岸にいた東ゴート人が突然西へ動き、 西ゴート人がドナウ川を渡ってローマ領内への避難を願い出たことだ。
ローマは受け入れたが、食糧を与えず、飢えた難民に自分の子を 奴隷として売らせたと史料は書いている。反乱が起き、 378年のハドリアノポリスの戦いで皇帝ウァレンスが戦死した。
以後100年、ヴァンダル、ブルグント、フランク、ランゴバルドが動く。 「民族大移動」と呼ばれるが、民族が丸ごと移ったのではなく、 移動しながら人を集めて名前が付いていった集団も多い。
フン人自身は、アッティラの死後20年ほどで史料から消える。 押し出した側より、押し出された側の名前のほうが後に残った。