概要
キリスト教徒として育てられた皇帝が、即位すると古い神々の祭祀を戻した。2年後にペルシア遠征で死に、以後の皇帝は全員キリスト教徒になる。
場所
コンスタンティノープル
41.01°N 28.98°E · トルコ・イスタンブール
41.01°N 28.98°E · トルコ・イスタンブール
関わった人(1)
ユリアヌスAD331年–AD363年6月26日 · 皇帝本文
コンスタンティヌスの甥になる。
6歳のとき、一族が殺された。
コンスタンティヌスの息子たちの粛清で、 父も兄弟も死んだ。
生き残った二人が、幽閉されて育つ。
キリスト教徒として。
その間に、ギリシアの哲学を読んだ。
密かに、古い神々に戻っていたと本人が書いている。
ガリアの副帝にされ、 ゲルマン人相手に勝ちつづけ、 兵に皇帝と担がれた。
即位すると、神殿を開き、犠牲を復活させた。
キリスト教徒を迫害はしなかった。
代わりに、教師の職から外し、 教会への補助を切り、 異端同士の争いを放置した。
「これで互いに食い合うだろう」。
2年後、ペルシア遠征で槍に倒れた。31歳。
「ガリラヤ人よ、お前の勝ちだ」と言ったという話は、後世の作りになる。
以後、異教の皇帝は出なかった。
出典(2)
塩野七生 『ローマ人の物語』XIV キリストの勝利
エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史』第23章