← 地図で見る
Person / 人

ユリアヌス

Julian the Apostate
AD331年 – AD363年6月26日(享年32・推定)
ローマ重要度 3

概要

一族を殺されて育った皇族の学者が、皇帝になって古い神々を戻そうとした。2年でペルシアの戦場に死ぬ。「背教者」の名は勝った側が付けた。

所属

ローマ

関わったできごと(1)

ユリアヌスの異教復興AD361年 · 皇帝

本文

コンスタンティヌスの死後、 その息子たちが一族の男を殺した。

6歳だった。

兄と二人、遠い領地で幽閉されて育つ。

キリスト教の教育を受けた。

同時に、ホメロスとプラトンを読んだ。

20歳で、密かに古い神々の信仰に戻ったと本人が書く。

兄が処刑された。

自分は生かされ、ガリアの副帝にされた。

軍のことは何も知らなかったが、 5年でゲルマン人相手に勝ち続けた。

兵が皇帝と担いだ。

皇帝コンスタンティウスが死に、内戦なしで即位する。

神殿を開き、犠牲を戻した。

キリスト教徒を教師の職から外した。

自分は哲学者として、 髭を伸ばし、質素に暮らし、夜中まで書いた。

アンティオキアの市民に嘲られ、 『髭嫌い』という自嘲の文を書いている。

363年、ペルシアへ攻め込み、 撤退中に槍を受けて死んだ。31歳。