概要
幕府の御家人として後醍醐を討ちに出て、途中で寝返って幕府を倒し、二年で後醍醐に背いた。九州へ逃げ、戻って京を取り、幕府を開いた。気前がよく、戦に強く、鬱になって出家しようとした。夢窓疎石が「三つの徳」を挙げた。
関わったできごと(2)
建武の新政AD1333年 · 背いた湊川の戦いAD1336年7月4日 · 勝者本文
高氏。 足利貞氏の次男。 母は上杉氏。 源氏。 義家の子孫。 北条氏と、代々婚姻。 妻は赤橋登子。 執権の妹。 1331年、父の喪中に、 幕府の命令で後醍醐を討ちに上洛。 1333年、また。 「上洛の途中で、 篠村八幡宮で挙兵した」。 4月29日。 5月7日、六波羅。 「天皇の綸旨を得た」。 綸旨は、 その前から、 持っていたか。 5月22日、義貞が鎌倉。 高氏の息子千寿王(義詮)が義貞の軍にいた。 4歳。 「尊」。 「鎮守府将軍」。 「征夷大将軍」は、もらえなかった。 護良親王が。
1335年8月、中先代。 「征夷大将軍を求めて、 許されず、 出陣した」。 鎌倉を取り返した。 帰らなかった。 弟直義が。 「京へ帰れば殺される」。 11月、義貞の追討軍。 「尊氏は寺に籠って、 戦わない、と言った」。 髪を切ろうとした。 直義が。 「兄が戦わなければ、 足利は滅びる」。 「私が負けている」と嘘を。 出た。 箱根竹ノ下。 1336年1月、京。 2月、負けた。 顕家。 九州へ。 持明院統の光厳上皇から院宣。 「これで朝敵ではない」。 多々良浜。 少弐。 「兵300で、菊池の数万を破った」。 5月、湊川。 6月、京。 8月、光明天皇。 11月7日、建武式目。 「政道の事」。 17条。 「倹約」「群飲佚遊」「狼藉」。 1338年8月、征夷大将軍。
観応の擾乱。 1350年から1352年。 弟直義と。 執事高師直と。 直義が師直を殺し、 尊氏が直義を殺した。 「毒」。 1352年2月、鎌倉。 南朝に降ったこともある。 一時。 息子直冬(直義の養子)とも。 1358年4月30日、京、二条万里小路。 54歳。 背中の腫れ物。 等持院。 「等持院殿」。
夢窓疎石。 『梅松論』。 尊氏の三つの徳。 「心が強く、 戦で死を恐れない」。 「慈悲で、 人を憎まない」。 「心が広く、 物を惜しまない」。 「金銀も、 土地も、 惜しまず人に与えた」。 人がついてきた。 後醍醐が死んだとき、 天龍寺を建てた。 敵のために。 「敵を弔う」。 夢窓が勧めた。 自分で地蔵を描いた。 たくさん。 「私の願いは、 早く世を捨てて、 来世で」。 清水寺への願文。 1336年8月。 京を取った月に。 「今生の果報は直義に」。 弟に。 自分は。 「早く遁世したい」。 遁世しなかった。 22年。