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Person / 人

ケマル・アタテュルク

Mustafa Kemal Atatürk
AD1881年頃 – AD1938年11月10日(享年57・推定)
トルコ共和国重要度 5

概要

解体寸前の帝国からトルコ共和国を作った。文字をラテン字に替え、暦も服装も法も入れ替える。

関わったできごと(1)

トルコ共和国の成立AD1923年10月29日 · 当人

本文

オスマン軍の将校として、ガリポリを守った。

「私はあなた方に攻撃を命じるのではない。 死ぬことを命じる」と部下に言ったと伝わる。

大戦後、帝国は分割されようとしていた。

セーヴル条約で、 アナトリアの大半を失うところだった。

抵抗運動を組織し、 ギリシア軍を撃退して、条約を結び直させた。

そこからの改革が、徹底していた。

カリフ制を廃止した。 1300年続いた権威が消える。

法をスイス民法とイタリア刑法に置き換えた。

文字をアラビア文字からラテン文字に替えた。 自ら黒板を持って各地を回り、教えている。

暦を替え、休日を替え、 帽子について法律を作った。

姓を名乗ることを義務づけ、 自らアタテュルク(トルコ人の父)の姓を議会から贈られた。

上から急速に作り替えた。 その反動が、いまも政治の対立軸になっている。

動画(1)

ケマル・アタテュルク 〜ひとりの男がもたらす近代トルコの夜明け〜【47-1 COTEN RADIO ケマル・アタテュルク編1】歴史を面白く学ぶコテンラジオ_COTEN RADIOオスマン帝国の末期から入るシリーズの第1回。帝国の解体と共和国の建国を一続きで追える