概要
教会の勤めとして毎週カンタータを書いた。死後は忘れられ、80年後にメンデルスゾーンが掘り起こす。
所属
神聖ローマ帝国関わったできごと(1)
『マタイ受難曲』AD1727年 · 作曲本文
教会と宮廷の勤め人だった。
ライプツィヒの聖トマス教会で、 毎週の礼拝のためのカンタータを書いた。
数年で、200曲以上になる。
締切に追われる仕事になる。
生前、「オルガンの名手」として知られていた。 作曲家としての評価は、それほど高くない。
古い書き方をしていると見られていた。
20人の子がいた。半数が幼くして死んでいる。
死後、その作品は忘れられた。
息子たちの世代の音楽が主流になり、 父の書法は時代遅れとされる。
1829年、20歳のメンデルスゾーンが 『マタイ受難曲』を再演した。
79年ぶりになる。
そこから、再評価が始まる。
いま最も演奏される作曲家の一人が、 一度ほぼ完全に忘れられていた。