概要
教会の勤めとして書かれ、そのまま忘れられた。100年後にメンデルスゾーンが再演して蘇る。
場所
ライプツィヒ
51.34°N 12.37°E · ドイツ
51.34°N 12.37°E · ドイツ
関わった人(1)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハAD1685年3月31日–AD1750年7月28日 · 作曲本文
バッハが、ライプツィヒの教会の勤めとして書いた。
受難週の礼拝で演奏するためのものになる。
二群の合唱と二群の管弦楽が、 向かい合って掛け合う。
規模が大きい。演奏に3時間近くかかる。
初演の後、数回演奏されて、忘れられた。
バッハ自身、当時は 「オルガンの名手」として知られていた。 作曲家としての評価は高くない。
死後、その作品は 息子たちの世代の音楽に取って代わられた。
1829年、20歳のメンデルスゾーンが再演した。 100年後になる。
そこから、バッハの再評価が始まる。
いま最も演奏される作曲家の一人が、 一度ほぼ完全に忘れられていた。