概要
本名はシメオン・ベン・コシバ。「星の子」と呼ばれ、ラビ・アキバにメシアと認められた。三年半ローマと戦い、貨幣を打ち、死海の洞窟に手紙を残した。ベタルの砦で死んだ。後世のラビは「偽りの子」と呼び変えた。
所属
ローマ帝国関わったできごと(1)
バル・コクバの乱AD132年 · 指導者本文
死海の西、ナハル・ヘヴェルの洞窟から、 1960年にイガエル・ヤディンが手紙の束を見つけた。 「シメオン・バル・コシバ、イスラエルの君主より」で始まる。 部下への命令書で、 ガリラヤ人を虐待するな、小麦を送れ、仮庵祭の枝を集めろ、 「あなたたちは兄弟のことを気にかけていない」と叱っている。 実務の人だった。
貨幣には「イスラエルの解放の年」「エルサレムの自由のために」と打った。 神殿の正面を刻んだものもある。 神殿を建て直すつもりだった。
ラビ・アキバはメシアと認めた。 民数記の「ヤコブから星(コクバ)が出る」を引いて、バル・コクバと呼んだ。 別のラビが「アキバよ、あなたの頬に草が生えても、ダビデの子は来ない」と言った。
三年半戦った。 ローマは12個軍団の兵を集め、 ハドリアヌス自身が来た。 135年、ベタルで死んだ。 遺体の首を蛇が巻いていた、とタルムードは言う。
タルムードは彼をバル・コジバ(偽りの子)と呼び変えた。 19世紀のシオニズムがバル・コクバに戻し、 イスラエルの子供の祭りにその名がついている。 死海の手紙の洞窟には、 彼の部下の妻たちの骨が残っていた。 逃げ込んで、餓死したと考えられている。