← 地図で見る
Event / できごと

バル・コクバの乱

Bar Kokhba revolt
AD132年
重要度 3

概要

ハドリアヌスがエルサレムをローマの街に建て直そうとして、ユダヤ人が三年半戦った。指導者は「星の子」と呼ばれ、メシアとされた。鎮圧のあと、ユダヤ人はエルサレムへの立ち入りを禁じられ、属州の名がユダヤからパレスティナに変えられた。

場所

エルサレム
31.77°N 35.21°E · イスラエル/パレスチナ

関わった人(2)

バル・コクバ?–AD135年 · 指導者ハドリアヌス76年1月24日–138年7月10日 · 皇帝

本文

70年の神殿の破壊から60年、 ハドリアヌスがエルサレムの跡にローマの植民市アエリア・カピトリナを建て、 神殿の丘にユピテルの神殿を置くと決めた。 割礼を禁じた、とも伝わる。

132年、シメオン・ベン・コシバが挙兵した。 ラビ・アキバが「星の子」(バル・コクバ)と呼び、 民数記の「ヤコブから星が出る」をあてて、メシアと認めた。 反乱軍はユダヤの丘陵を取り、 「イスラエルの解放」の年号を打った貨幣を出した。

ローマはブリタニアからセウェルスを呼び、軍団を集めた。 三年半かかった。 135年、ベタルの砦が落ちて、バル・コクバは死んだ。 カッシウス・ディオは58万人が殺され、50の砦と985の村が壊れたと書く。

ハドリアヌスはユダヤ人のエルサレム立ち入りを禁じ、 属州の名をユダヤからシリア・パレスティナに変えた。 ラビ・アキバは皮を剥がれて殺された、とタルムードは言う。

1960年、死海の西の「手紙の洞窟」から、 バル・コクバが部下に出した手紙の束が見つかった。 本名がシメオン・ベン・コシバであることは、それで確かめられた。

同じ時代のできごと

ローマ帝国の最大版図AD117年ハドリアヌスの長城AD122年クシャーナ朝の隆盛AD127年頃張衡の地動儀AD132年『アルマゲスト』AD150年頃