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Person / 人

バシレイオス(カイサリアの)

Basil of Caesarea
AD330年頃 – AD379年1月1日(享年49・推定)
ローマ帝国重要度 4

概要

カッパドキアの富裕な家に生まれ、アテナイでナジアンゾスのグレゴリオスと学び、財産を貧者に分け、修道の規則を書き、司教になった。飢饉の年に炊き出しをし、病院と孤児院と貧民の街「バシレイアス」を建てた。皇帝の脅しに「私は炎と剣しか恐れない」。

関わったできごと(1)

カッパドキア教父AD370年頃 · 司教

本文

バシレイオス。「王の」。330年頃。 祖母マクリナは奇跡者グレゴリオスの弟子で、オリゲネスの孫弟子。父は修辞学者。母は殉教者の娘。10人。 姉マクリナは婚約者が死んで生涯独身、母とアンネシに修道院を建て、「私は兄を哲学の高慢から引き戻した」。弟ニュッサのグレゴリオスが姉の生涯を書いた。 アテナイでナジアンゾスのグレゴリオスと。同じ頃ユリアヌスもいた。 帰って修辞学の教師。「私は若さの虚栄に」。357年、目覚めた。洗礼。 エジプト、パレスティナ、シリア、メソポタミアの修道士を見て「彼らの生活に驚いた」。 アンネシ。「山、森、川、鳥。来い」。グレゴリオスは来てすぐ帰った。「寒い、食事がまずい」。冗談。二人で『フィロカリア』、オリゲネスの抜粋。

規則。祈りと労働。私有財産はない。子供の教育。病人の世話。 368年、飢饉。「あなたはそれを神から受け取った。それをあなたのものだと思うか」。金持ちは泥棒。自分で配った。奴隷と自由人とユダヤ人と異教徒に。 370年、司教。敵は「自分の選挙のために病気の振りをした」。50人の司教が反対。老いたナジアンゾスのグレゴリオス(父)が担架で来て投票した。 バシレイアス。「ここに病人は主人のように」。ハンセン病者に口づけした、とグレゴリオスが弔辞で。 372年、モデストゥス。「あなたは私にそう言った最初の人」「あなたは司教に会ったことがない」。ウァレンスが来て、司祭が受け取らなかった供物をバシレイオスが受け取り、皇帝は震えた。 皇帝がカッパドキアを二つに割って教区を減らした。バシレイオスは新しい司教区を作り、グレゴリオスをサシマの司教に。「あなたは私を村の司教に」。行かなかった。生涯恨んだ。弔辞でも少し。友情の記念碑。

『聖霊について』。「聖霊は神」と言わなかった。「今はまだ」。381年に信条に入った。 『ヘクサエメロン』。六日の創造の9つの説教。鶴は夜見張りを立てる。蜜蜂。海。アンブロシウスがラテン語に。 『若者への講話』。ギリシアの本をどう読むか。蜜蜂が花から蜜だけを。1470年にブルーニの訳がルネサンスで最初に印刷されたギリシア教父の本になった。古典を読む許可。

379年1月1日。49歳。肝臓。断食で体を壊した。「大」がつく聖人。 東方では新年はバシレイオスの日。ヴァシロピタ。コインの入ったパン。ギリシアのサンタクロースは1月1日に来る彼で、ニコラオスではない。