概要
弁論家・政治家。共和政の擁護に回り、アントニウスの手で殺された。
所属
共和政ローマ関わったできごと(3)
カティリナの陰謀BC63年 · 執政官クロディウスの殺害BC52年1月18日 · 弁護第二回三頭政治とキケロの死BC43年 · 犠牲者本文
地方の騎士身分の出で、弁論だけで執政官まで上った。 「新人」としては例外的な出世になる。
カティリナの陰謀を暴いた年を、生涯誇り続けた。 裁判なしで首謀者を処刑したことは、 後に自身の追放の理由にされる。
政治的には一貫して共和政の擁護に立ったが、 判断は揺れた。 三頭政治に取り込まれ、内戦ではポンペイウス側につき、 カエサルに赦され、その暗殺は歓迎した。
残した文章の量が、この人を特別にしている。 演説、書簡、哲学。900通近い手紙が残り、 共和政末期の政治が日々どう動いていたかが読める。 ラテン語の散文の規範を作った人でもある。
第二回三頭政治の名簿に載せられ、殺された。