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Event / できごと

クロディウスの殺害

Murder of Clodius
BC52年1月18日
重要度 3

概要

街の暴力団を率いた護民官が、アッピア街道で政敵ミロの手下に殺された。群衆は遺体を元老院に運んで、議事堂ごと焼いた。ポンペイウスが単独執政官になり、キケロがミロを弁護して、声が出なかった。

場所

ボウィッラエ
41.75°N 12.63°E · イタリア・ラツィオ州

関わった人(2)

クロディウスBC93年頃–BC52年1月18日 · 殺されたキケロBC106年1月3日–BC43年12月7日 · 弁護

本文

BC52年1月18日。 アッピア街道。 ボウィッラエ。 ローマから、 20キロ。 クロディウス。 26人。 奴隷。 馬で。 アリキアから、 帰る途中。 市の、 評議会で、 演説した。 ミロ。 ティトゥス・アンニウス・ミロ。 執政官に、 立候補中。 妻ファウスタ。 スッラの、 娘。 馬車。 300人。 奴隷、 剣闘士。 ラヌウィウムへ。 「神官の、 就任式」。 午後3時頃。 すれ違った。 ミロの、 剣闘士の、 一人が、 クロディウスの、 一行と、 喧嘩を、 始めた。 「わざと」。 「偶然」。 両方。 ビリアが、 クロディウスの、 肩を、 槍で。 クロディウスは、 近くの、 宿に、 運ばれた。 ミロ。 「傷ついた、 クロディウスは、 死んだ、 クロディウスより、 危険」。 宿。 クロディウスを、 引きずり出して、 道で、 殺した。 遺体は、 道に。 元老院議員セクストゥス・テディウスが、 通りかかって、 輿で、 ローマへ。 夜。 パラティヌスの、 家。 妻フルウィア。 のちの、 アントニウスの、 妻。 遺体を、 傷が、 見えるように、 置いた。 群衆。 翌朝。 護民官たちが、 群衆を、 広場へ。 演壇に、 遺体を。 「見よ」。 元老院。 クリア・ホスティリア。 ローマの、 最も、 古い、 議事堂。 書記の、 椅子と、 机と、 本を、 積んで、 遺体を、 乗せて、 火をつけた。 議事堂ごと、 燃えた。 隣の、 バシリカ・ポルキアも。 「クロディウスの、 火葬」。 群衆は、 ミロの、 家を、 襲った。 撃退された。 ミロは、 帰ってきた。 「執政官に、 立候補する」。 執政官は、 いなかった。 選挙が、 できていなかった。 1月から。 暴力で。 「インテルレックス」。 元老院。 「ポンペイウスを、 単独執政官に」。 BC52年2月。 「同僚なしの、 執政官」。 「独裁官」では、 ない。 ビブルスの、 提案。 小カトーが、 賛成した。 「ポンペイウスが、 法を」。 「暴力に関する法」。 「選挙違反に関する法」。 特別法廷。 「弁護は、 3時間まで。 検察は、 2時間」。 「証人は、 先に」。 4月4日から。 ミロの、 裁判。 キケロが、 弁護。 広場。 ポンペイウスの、 兵が、 囲んだ。 クロディウスの、 群衆。 キケロは、 「怯えて、 声が、 出なかった」。 アスコニウス。 「彼は、 いつもの、 落ち着きを、 失い、 短く、 話した」。 有罪。 38対13。 ミロは、 マッシリアへ。 キケロは、 あとで、 「ミロ弁護論」を、 書き直して、 ミロに、 送った。 ミロは、 「これを、 法廷で、 読んでいたら、 私は、 マッシリアの、 ボラを、 食べていなかった」。 「ミロ弁護論」は、 キケロの、 最高の、 弁論の、 一つ。 法廷で、 言われなかった。 「私は、 クロディウスを、 殺していない。 だが、 殺したなら、 それは、 共和国のため」。 ミロは、 BC48年、 イタリアに、 戻って、 反乱を、 起こして、 石で、 殺された。 クロディウスの、 遺灰は、 アッピア街道の、 墓に。 「クロディウスが、 死んで、 ミロが、 追放されて、 ポンペイウスが、 一人で、 執政官」。 「街の、 暴力が、 共和国を、 壊して、 一人の、 男に、 渡した」。 「4年後、 カエサルが、 ルビコンを」。 議事堂は、 カエサルが、 建て直した。 「クリア・ユリア」。 自分の名で。 いまも、 フォルムに、 立っている。 BC52年に、 クロディウスの、 遺体で、 焼けた、 その、 場所に。

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