概要
クラッススがパルティアの騎射に敗れて戦死した。ローマの東の限界が定まる。
場所
カルラエ
36.86°N 39.03°E · トルコ・シャンルウルファ県ハッラーン
36.86°N 39.03°E · トルコ・シャンルウルファ県ハッラーン
関わった人(1)
クラッススBC115年頃–BC53年 · ローマ側 · 総指揮本文
クラッススは60歳を超えていた。 富ではポンペイウスもカエサルも超えていたが、 軍功が無い。それを求めて東へ出た。
パルティアの騎射は、逃げながら後ろへ射る。 追えば当たり、追わなければ距離を取って射続ける。 重装歩兵の方陣は、それに対して何もできない。 矢が尽きるのを待ったが、ラクダの隊列が矢を運び続けた。
2万が死に、1万が捕虜になった。 軍団旗(アクィラ)を奪われている。 ローマにとって旗の喪失は、敗北そのものより重い。 アウグストゥスが33年後に交渉で取り返し、 それを大々的に宣伝することになる。
ローマの東への拡大は、この戦いで限界が見えた。 そして三頭政治の一角が消えた。