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Person / 人

コルンバ

Columba
AD521年12月7日 – AD597年6月9日(享年75)
アイルランド重要度 3

概要

アイルランドの王族に生まれた僧。写本の所有をめぐる争いが戦争になり、その償いに故郷を出て、アイオナに修道院を建てたと伝わる。ピクト人の王を改宗させ、ネス湖の怪物を退けたと伝記にある。

関わったできごと(1)

コルンバのアイオナ修道院AD563年 · 創設

本文

コルム・キレ、教会の鳩。 ラテン語でコルンバ。 521年12月7日、ドニゴールのガータン。 父はウイ・ネイルの王族、 母はレンスターの王族。

クロナードのフィニアン、 ムーヴィルのフィニアンに学び、 デリー、ダロウ、ケルズに修道院を建てた、と伝わる。 写本を写した。 『カタック』(戦士)と呼ばれる詩篇の写本が、 彼の手だとされて、 オドンネル氏が戦争に持って行った。 いまダブリンにある。

561年、クール・ドレヴネの戦い。 コルンバの一族と、王ディアルマイトが戦った。 原因は写本の裁定、 あるいは、コルンバの保護下にあった人を王が殺したこと。 3000人が死んだ。 教会会議で破門されかけ、 師モルライシュが「死者の数だけの魂を救え」と言った。 「アイルランドが見えない所へ行け」。

563年、12人で。 最初に着いた島からアイルランドが見え、 さらに北へ行ってアイオナに着いた、と伝説は言う。 ダルリアダの王コナルは親戚だった。

34年、島にいた。 ブリデイ王を訪ね、 ダルリアダの王エイダンを聖別した。 ブリテン島で、王の聖別が記録された最初になる。 アイルランドに戻ってドルム・ケットの会議に出て、 詩人(フィリ)の追放を止めた。 自分も詩を書いた。 「アルトゥス・プロサトル」がそうだと言われる。

597年6月9日。 土曜日。 最後の日に、写本を写していた。 詩篇34篇の「主を求める者は良いものに欠けることがない」まで。 「ここで止める。続きはバイティンが書け」。 夜の礼拝に、一人で聖堂に入って、 祭壇の前で倒れた。

アドムナーンが100年後に伝記を書いた。 その中に、白い馬が別れを悲しんで泣いた話がある。 コルンバは馬を撫でさせた。