概要
河内の弓削氏の僧。孝謙上皇の病を癒して寵を得、太政大臣禅師、法王になった。宇佐八幡の神託で皇位を求め、和気清麻呂に阻まれた。天皇の死後、下野に流された。
所属
日本関わったできごと(1)
宇佐八幡神託事件AD769年 · 法王本文
弓削氏。 河内国若江郡。 物部の一族と伝える。 若い頃、葛城山で修行し、 梵語ができた、と『続日本紀』。 義淵に学んだ、とも。 宮中の内道場に入った。 禅師。
761年、保良宮。 762年、宮中に。 「道鏡を寵愛して」と『続日本紀』は書く。 仲麻呂が淳仁に諫めさせ、 上皇が怒った。 763年、少僧都。 764年、仲麻呂の乱の後、大臣禅師。 765年、太政大臣禅師。 766年、法王。 「法王の宮職」を置き、 月給と衣服と乗り物を、天皇と同じにした。 弟の浄人は8年で大納言。 一族が10人、五位以上に。
西大寺。 東大寺に対して。 薬師金堂、弥勒金堂、 四王堂に、仲麻呂の乱の鎮圧を祈った四天王。 由義宮。 河内の弓削に、西の京を作った。 769年、称徳が行幸した。
宇佐。 770年8月、称徳が死んだ。 道鏡は陵のそばに留まった。 21日、 下野薬師寺の別当に。 「陵土未だ乾かざるに」 「姦計を発する」。 772年4月、下野で死んだ。 庶人として葬られた。
『日本霊異記』は、 道鏡と称徳の関係を、 具体的に、 書いた。 その後の説話と江戸の川柳が、それを膨らませた。 称徳が本当に道鏡に皇位を譲ろうとしたか、 道鏡が本当に求めたか、 神託を作ったのは大宰府か、道鏡か、 藤原氏が道鏡を陥れるために作ったか。 分からない。 書いたのは、道鏡が負けたあとの人だから。