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Event / できごと

宇佐八幡神託事件

Usa Hachiman oracle incident
AD769年
重要度 3

概要

「道鏡を皇位に就ければ天下は太平」という神託が宇佐から届いた。和気清麻呂が確かめに行き、「臣を君にしてはならない」という逆の神託を持ち帰った。大隅に流された。翌年、天皇が死んで道鏡も落ちた。

場所

宇佐
33.53°N 131.38°E · 大分県

関わった人(2)

道鏡?–AD772年 · 法王孝謙天皇(称徳天皇)AD718年–AD770年 · 天皇

本文

道鏡は河内の弓削氏の出で、 葛城山で修行し、宮中の内道場に入った。 761年、孝謙上皇が近江の保良宮で病み、 道鏡が看病して治した。 上皇は道鏡を寵愛し、 淳仁天皇(藤原仲麻呂が立てた)と対立した。 764年、仲麻呂の乱。 仲麻呂は近江で斬られ、 淳仁は淡路に流されて翌年死んだ。 上皇が重祚した。称徳天皇。

道鏡は太政大臣禅師、 766年、法王。 天皇と同じ乗り物、同じ食事。 弟の弓削浄人は大納言。 西大寺を建て、百万塔を作らせた。

769年、大宰府の主神、習宜阿曾麻呂が、 宇佐八幡の神託を報じた。 「道鏡を皇位に即ければ、天下太平」。 称徳は和気清麻呂を宇佐へ送った。 姉の広虫の弟。 道鏡は「良い報せを持ち帰れば、大臣にする」と言った。

清麻呂が持ち帰った神託。 「我が国家は開闢以来、君臣定まれり。 臣を以て君と為すこと、未だあらず。 天つ日嗣は必ず皇緒を立てよ。 無道の人は宜しく早く掃除すべし」。

称徳は怒り、 清麻呂を別部穢麻呂と改名させて大隅へ、 広虫を狭虫と改名させて備後へ流した。 道鏡が刺客を送って、清麻呂は足を痛めた、と伝える。 猪が守った、とも。

770年8月、称徳が死んだ。 53歳。 道鏡は下野の薬師寺の別当に落とされ、 772年にそこで死んだ。 清麻呂は戻され、 平安京の造営を勧め、 明治になって「忠臣」として十円紙幣の顔になった。

道鏡が本当に皇位を狙ったのか、 称徳が道鏡に譲ろうとしたのか、 神託を作ったのは誰か。 記録は勝った側のもので、分からない。 この事件のあと、 皇位が天皇家の外に出る、という考えは消えた。

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