概要
五度の渡海に失敗し、失明してから六度目で着いた。僧が正式に僧になる手続きが、これで日本に整う。唐招提寺を開いた。
場所
平城京
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県
関わった人(1)
鑑真AD688年–AD763年 · 渡海本文
日本から来た二人の僧が、揚州の大明寺で頼んだ。
戒律を授けられる師が日本にいない、と。
弟子たちは誰も行こうとしなかった。
海が危ない。
鑑真が、自分で行くと言った。55歳。
一度目は弟子の密告で船が出ず、 二度目は難破し、 三度目は役所に止められ、 四度目は弟子の妨害で流れ、 五度目は嵐で海南島まで流された。
その旅の間に、目が見えなくなる。
六度目、遣唐使の帰りの船に乗った。
753年、薩摩に着く。66歳。
翌年、東大寺に戒壇を築いた。
聖武上皇と光明皇太后に戒を授けている。
僧が正式に僧になる手続きが、これで整った。
唐招提寺を開き、そこで死んだ。
死の直前に弟子が作った乾漆の像が残っている。
目を閉じている。