概要
日本の求めに応じて渡海を五度失敗し、失明してから六度目で着いた。奈良に戒律を伝え、唐招提寺を開く。
関わったできごと(1)
鑑真の来日AD753年 · 渡海本文
揚州の大明寺の僧で、戒律の第一人者だった。
日本から来た僧が、戒律を授けられる師を求めた。
弟子たちは誰も行こうとしない。
鑑真が自分で行くと言った。55歳。
一度目は密告で船が出ず、 二度目は難破し、三度目は役所に止められ、 四度目は弟子の妨害で流れ、 五度目は嵐で海南島まで流された。
その間に、目が見えなくなる。
六度目、遣唐使の帰りの船に乗って着いた。
754年、66歳。
東大寺に戒壇を築き、聖武上皇と光明皇太后に戒を授けた。
僧が正式に僧になる手続きが、 これで日本に整った。
唐招提寺を開き、そこで死んだ。
死の直前に弟子が作った乾漆の像が残っている。
目を閉じている。