概要
国の銅を使い尽くして高さ15メートルの像を鋳た。開眼の筆をインド僧が執り、唐・新羅・林邑の楽が奏された。国家が仏教に賭けた事業になる。
場所
平城京
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県
34.69°N 135.79°E · 日本・奈良県
関わった人(3)
行基AD668年–AD749年 · 勧進聖武天皇AD701年–AD756年 · 発願光明皇后AD701年–AD760年 · 皇后本文
聖武天皇が発願した。
疫病と飢饉と反乱が続いた時代になる。
天平の疫病では、 政権の中枢にいた藤原四兄弟が全員死んでいる。
国ごとに国分寺を建て、 その総本山に大仏を置く。
銅を500トン近く使った。
日本中の銅を集めたと言われる。
鍍金に使う水銀の蒸気で、 多くの工人が中毒になったとされる。
行基が、民間から寄付と労働を集めた。
もとは僧の資格なしに布教して弾圧されていた人になる。
752年4月9日、開眼供養。
筆を執ったのはインド僧の菩提僊那。
その筆から長い紐が伸び、 参列者が握って一緒に眼を入れた。
唐、新羅、林邑の楽が奏された。
その日の品々が、正倉院に残っている。
国家が仏教に賭けた事業だった。