概要
河内の渡来系の家に生まれ、僧の外出を禁じる法を破って民に説き、橋と池と布施屋を作った。朝廷は「小僧行基」と咎め、それから大仏の勧進に使った。日本で最初の大僧正。民は菩薩と呼んだ。
所属
日本関わったできごと(1)
東大寺大仏の開眼AD752年 · 勧進本文
河内国大鳥郡。 父は高志才智、百済系の渡来人。 母は蜂田氏。 15歳で出家し、 道昭に学んだ。 道昭は玄奘の弟子で、 日本に法相を伝え、 橋を作り、井戸を掘った僧。 行基はそれを継いだ。
僧尼令。 僧は寺の外で民に説いてはならない。 行基は説いた。 畿内を回り、 道場を建て、 橋を架け、 池を掘り、 布施屋(旅人の宿)を作った。 狭山池、久米田池、 大野寺の土塔。 「行基集団」。 農民、渡来人の技術者、 出家していない者が多かった。
717年、詔。 「小僧行基と弟子たちが、街で人を集め、 勝手に罪福を説き、 家を捨てさせ、 乞食をさせている。 禁じる」。 722年、また。 行基は止まらなかった。
731年、認められた。 61歳以上の男と55歳以上の女の弟子に、出家を許す。 朝廷は集団を使うことにした。 740年、聖武天皇が難波で行基に会った。 743年、大仏発願。 744年、行基は勧進に立った。 弟子たちを率いて、 民から金と労力を集めた。 745年、大僧正。 日本で最初。 「行基菩薩」。
749年2月、菅原寺で死んだ。82歳。 大仏の開眼の3年前。 竹林寺に葬られ、 1235年に墓から舎利が見つかった。 「行基図」という日本地図が中世に流布して、 行基が作ったとされた。 違う。 だが、道を歩いた人の名がつくのは、 分かる気がする。