概要
フランク軍がイスラム軍の北上を止めた。西ヨーロッパがイスラム圏に入らなかった分岐点とされる。
場所
トゥール位置は特定されていない(誤差 ±20km)
47.39°N 0.68°E · フランス(戦場の位置は特定されていない)
47.39°N 0.68°E · フランス(戦場の位置は特定されていない)
関わった人(1)
カール・マルテルAD688年頃–AD741年 · フランク軍本文
フランク軍がイスラム軍の北上を止めた。
ギボン以来、「これで負けていれば オックスフォードでクルアーンが講じられていた」 という言い方が広まった。
近年、その評価は下げられている。
イスラム側の史料では、この戦いの扱いが小さい。 大規模な征服軍ではなく、 略奪を目的とした遠征だったとする見方が強い。
同じ時期、東ではコンスタンティノープルの攻略に失敗し、 内部では後継争いが続いていた。 北へ広げる余力が、そもそも乏しかった。
それでも、この戦いには別の意味がある。 勝ったカール・マルテルの家系が、 これを機に実権を固めた。 その孫がカール大帝になる。
ヨーロッパの分岐点というより、 フランク王国の分岐点だったことになる。
出典(2)
エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史』第52章
エドワード・W・サイード(今沢紀子 訳) 『オリエンタリズム』第1章 オリエンタリズムの領域(イスラームという「脅威」の記憶)