概要
藤原不比等の娘で、皇族以外から最初の皇后になった。施薬院と悲田院を置き、千人の垢を自分で洗ったという伝説がある。夫の遺品を東大寺に納め、それが正倉院になる。
所属
日本関わったできごと(1)
東大寺大仏の開眼AD752年 · 皇后本文
安宿媛。 不比等と橘三千代の娘。 光明子。 16歳で首皇子(聖武)の妃。 同じ年に生まれ、同じ年に妃になり、 夫より4年長く生きた。
729年、皇后。 「皇后は皇族から」という慣例を、 長屋王を殺して、破った。 以後、藤原氏の娘が皇后になる道が開いた。
皇后宮職。 そこに写経所を置き、 一切経を写させた。 「五月一日経」。 父母のために。 施薬院。 悲田院。 病人と孤児のための施設。 自分で千人の垢を洗うと誓い、 千人目が癩病者で、 膿を口で吸うと、 それが阿閦如来だった、 という伝説。 法華寺の浴室(から風呂)が、その場所とされる。
739年、皇后が発願して、法華寺。 父の家を尼寺にした。 国分尼寺の総本山。 国分寺の詔も、大仏の詔も、 光明の勧めだった、と言われる。 唐の則天武后の大雲寺と大仏を、 玄昉から聞いて。
756年、聖武が死んだ。 49日、 「国家珍宝帳」。 「亡き天皇の遺愛の品を見るたびに悲しみが増す。 仏に捧げて、天皇の冥福を祈る」。 その後も何度か納めた。 750点。 螺鈿の琵琶、 ガラスの碗、 書、 薬。
『楽毅論』。 王羲之の書を臨書した、光明皇后の書が正倉院にある。 署名は「藤三娘」。 藤原の三番目の娘。 筆が強い。
760年6月、60歳で死んだ。 佐保山に葬られた。 正倉院の宝物は、それから1260年、 一度も持ち出されずにある。 ほとんどのものが。