概要
唐の絶頂を折った大反乱。以後、中央の力は落ち、地方の節度使が実権を握る。
場所
長安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
34.27°N 108.95°E · 中国・陝西省西安
関わった人(1)
玄宗AD685年–AD762年 · 皇帝本文
唐の絶頂を折った。
安禄山は、ソグド系と突厥系の混血の武将になる。 三つの節度使を兼ね、 北方の兵力の相当部分を握っていた。
玄宗の信任が厚かった。 楊貴妃の養子になったという話まで残る。
反乱は8年続いた。
都が二度落ち、玄宗は蜀へ逃げた。 その途上、兵が楊貴妃の処刑を要求する。
鎮圧のために、ウイグルの兵を借りた。 その代償が高くついた。
戸籍上の人口が、乱の前後で 5000万から1700万に減っている。 実際の死者ではなく、 戸籍が把握できなくなった分が大きいとされる。
中央の力が落ち、 地方の節度使が実権を握る。 唐は、この後150年続くが、 かつての姿には戻らない。
出典(2)
司馬光 『資治通鑑』巻216–220
スティーブン・ピンカー(幾島幸子、塩原通緒 訳) 『暴力の人類史』第5章 長い平和