概要
二度宋に渡り、臨済の禅を伝えた。旧仏教に阻まれて博多と鎌倉で寺を建て、京都に建仁寺を開いた。茶の種を持ち帰り、『喫茶養生記』を書いた。日本の茶は、この僧から始まったことになっている。
所属
日本関わったできごと(1)
栄西と臨済宗AD1191年 · 開祖本文
備中吉備津宮の神主の子。 11歳で安養寺、14歳で比叡山。
1168年、28歳、宋へ。 明州から天台山に上り、天台の典籍を60巻ほど持って半年で帰った。 そのとき宋で禅が盛んなのを見た。
1187年、47歳、二度目。 インドへ行く許可を求めて断られ、 天台山万年寺の虚庵懐敞に4年ついた。 懐敞が天童山に移ると、ついていった。 1191年、印可を受けて帰った。 臨済宗黄龍派。
博多に着いた。 1195年、聖福寺。 比叡山が禅の禁止を朝廷に訴え、 1194年に禁止の宣旨が出た。 栄西は1198年に『興禅護国論』を書いた。 禅は最澄も伝えたものだ、天台と矛盾しない、国を守る、と。
1199年、鎌倉へ。 政子が寿福寺を建て、 1202年、頼家が建仁寺を建てた。 真言・天台・禅の三宗兼学。 比叡山と争わないための形だった。
1206年、東大寺の勧進職を重源から継いだ。 1214年、二日酔いの実朝に茶を勧め、『喫茶養生記』を献じた。 1215年、鎌倉で死んだ。75歳。 建仁寺の開山堂に葬られている。
日本の茶の始まりとされるが、 茶は平安の初めに空海や最澄も持ち帰っている。 栄西のあとに広まった、というのが正しい。