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Person / 人

継体天皇

Emperor Keitai
AD450年 – AD531年(享年81・推定)
重要度 4

概要

男大迹王。越前の三国。応神五世の孫。58歳で迎えられた。樟葉、筒城、弟国、20年後に磐余玉穂。磐井の乱を鎮めた。手白香皇女との子が欽明。今城塚古墳が真の陵とされ、宮内庁は別の古墳を陵にしている。王朝交替説の中心。

関わったできごと(1)

継体天皇の即位AD507年 · 天皇

本文

継体天皇。男大迹。袁本杼。 450年。近江の高島か、越前の三国。 「父は彦主人王。母は振媛。振媛は垂仁の七世の孫」。 「父が死んで、母の里、越前の高向へ」。 「三国」。 「越前の坂井」。 「継体の妃は、尾張、三尾、坂田、茨田、根王。近江、越前、尾張、河内」。 「尾張連草香の娘、目子媛。安閑と宣化の母」。 「近江と越前と尾張の豪族」。 「大伴金村」。「物部麁鹿火」。「巨勢男人」。 507年、樟葉。 「筒城」。「弟国」。 「20年」。 526年、磐余。 527年、磐井。「新羅と組んだ」。「物部麁鹿火」。「528年、筑紫御井郡」。 531年、死んだ。 「82歳」。「『古事記』は43歳」。 「531年か534年か」。 「『日本書紀』は、『百済本記』を引いて『531年』、だが『ある本』では534年。『後に勘校する者、知らん』」。 「『日本書紀』の編者も、分からなかった」。 「辛亥の変」。 「天皇と太子と皇子が」。 「継体と安閑と宣化」。 「欽明が」。 「継体は、殺されたのか」。 「安閑と宣化は、欽明と、並んだのか」。

「王朝交替説」。 「継体は、応神五世の孫、という系譜が、『日本書紀』にない。『上宮記』にある」。 「五世の孫は、皇位を継げる範囲の外」。 「継体は、外から来た」。 「継体は、前の王統の娘、手白香を娶って、正統を」。 「継体以後、天皇家は一つの血で続いている、と言える」。 「今の天皇家は、継体から」。 「男系で、継体から」。 「今城塚」。 「6世紀前半」。「埴輪。武人、巫女、力士、鶏、馬、家。200体以上」。 「大王の葬儀の場面」。 「2004年から2011年、発掘」。 「石室は地震で崩れていた。1596年の伏見地震」。 「宮内庁の指定でないから、掘れた」。 「太田茶臼山は宮内庁が『継体陵』。5世紀中頃。継体が生まれる前」。 「天皇の墓で、誰でも上に登れる」。 「今城塚」。 「越前から来た、58歳の王の墓に」。