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Person / 人

エラスムス

Desiderius Erasmus
AD1466年頃 – AD1536年7月12日(享年70・推定)
ネーデルラント連邦共和国重要度 5

概要

司祭の私生児で、修道院を嫌って出た。ギリシア語の新約聖書を印刷し、教会を笑い、ルターに「あなたは正しいが、やり方が」と言い、両方から裏切り者と呼ばれた。「ヨーロッパ最初の知識人」。「エラスムスが卵を産み、ルターが孵した」。

所属

ネーデルラント連邦共和国

関わったできごと(1)

エラスムス『愚神礼賛』AD1511年 · 著者

本文

ロッテルダム。 1466年10月28日、 あるいは1469年。 「ヘラルト」。 父ロヘル・ヘラルト。 司祭。 母マルガレータ。 医者の娘。 「私生児」。 「ヘラルツゾーン」。 「デシデリウス・エラスムス・ロテロダムス」。 自分で。 「望まれた」「愛される」。 両方とも、 そう意味する。 ラテン語と、 ギリシア語で。 デーフェンテル。 「共同生活兄弟会」。 「近代的敬虔」(デヴォティオ・モデルナ)。 「キリストに倣いて」。 1483年、 両親が、 ペストで。 後見人が、 修道院に。 ステイン。 アウグスティノ会。 1487年。 「私は、 入りたくなかった」。 1492年、 司祭。 1493年、 カンブレー司教の、 秘書。 出た。 戻らなかった。 1495年、 パリ。 コレージュ・ド・モンテギュ。 「腐った卵と、 虱」。 神学を、 嫌った。 「スコラ」。 1499年、 イングランド。 モア、 コレット。 「ギリシア語を」。 1500年、 『格言集』。 「アダギア」。 818。 1508年、 3260。 1536年、 4151。 「急がば回れ」(フェスティナ・レンテ)。 「一つの燕は、 春を、 作らない」。 「戦争は、 経験しない者に、 甘い」。 「愚神礼賛」。 1506年、 イタリア。 トリノ。 神学博士。 ボローニャ。 ヴェネツィア。 アルドゥス。 「格言集」を、 印刷しながら、 書いた。 ローマ。 1509年、 イングランド。 1511年から1514年、 ケンブリッジ。 「ギリシア語を、 教えた」。 1514年、 バーゼル。 フローベン。 1516年、 『新約聖書』。 「ノヴム・インストルメントゥム」。 ギリシア語と、 ラテン語。 「ウルガタは、 間違っている」。 「ヨハネの手紙一、 5章7節」。 「三位一体の、 節が、 ギリシア語の写本に、 ない」。 削った。 「異端」。 第3版で、 戻した。 「写本が、 見つかった」。 「作られた写本」。 1516年、 『キリスト教君主の教育』。 カール5世に。 16歳。 「君主は、 民のために」。 マキァヴェッリの『君主論』が、 書かれたのと、 同じ年。 出版は、 1532年。 1517年、 『平和の訴え』。 「平和が、 自分で、 語る」。 1517年10月31日。 ルター。 1519年、 ルターの手紙。 「私は、 あなたに、 賛成する。 だが」。 「静かに」。 1520年、 「ルターは、 罪を、 犯した。 教皇の冠と、 修道士の腹を、 攻撃した」。 1521年、 ルーヴァンから、 バーゼルへ。 「私は、 どの派にも、 属さない」。 1524年、 『自由意志論』。 「人は、 救いに、 協力できる」。 1525年、 ルター、 『奴隷意志論』。 「あなたは、 懐疑論者。 聖霊は、 懐疑論者では、 ない」。 1529年、 バーゼルが、 プロテスタントに。 フライブルク。 1535年、 バーゼルへ、 戻った。 1536年7月12日。 夜。 「リーヴェ・ゴット」。 愛する神よ。 オランダ語で。 最後の言葉。 70歳。 バーゼル大聖堂。 プロテスタントの、 教会に。 カトリックの、 司祭が。 1559年、 禁書。 「全著作」。 ホルバイン。 肖像。 3枚。 「私は、 自分の顔が、 嫌いだ」。 「醜い」。 「ロッテルダムの、 像」。 1622年。 オランダで、 最初の、 銅像。 「本を、 読んでいる」。 「ページを、 めくる」。 「時計が、 鳴るたびに」。 子供が、 そう、 信じている。 「エラスムス橋」。 「エラスムス大学」。 「エラスムス計画」。 EU。 学生交換。 1987年。 「ヨーロッパの、 市民」。 「私は、 世界の、 市民でありたい」。 「あるいは、 どこの、 市民でもなく」。 「私は、 ロッテルダムの、 市民ではない」。 「本を、 書く。 本は、 どこにでも、 行く」。