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Person / 人

馮道

Feng Dao
AD882年 – AD954年(享年72・推定)
五代十国重要度 3

概要

五つの王朝、十一人の皇帝に宰相として仕えた。「長楽老」と自称した。欧陽脩と司馬光は恥知らずと書いたが、その間に儒教の経典を木版で刊行させ、民を守った。印刷の歴史では大きな名になる。

所属

五代十国

関わったできごと(1)

馮道の儒教経典刊行AD953年 · 宰相

本文

馮道。字は可道。 瀛州景城(河北)。 882年。 農家。 「農業と読書」。 唐の末。 劉守光。 幽州。 「諫めて、獄に」。 李存勗の晋。 掌書記。 「馮道の文章は、天下に伝わった」。 後唐。 明宗。 宰相。 927年。 「明宗は文字が読めず、 馮道が古人の言葉を読んで聞かせた」。 「穀貴くして農民は飢え、 穀賤くして農民は傷む」。 聶夷中の詩を読んで聞かせた。 明宗は書き留めさせた。

後唐、 後晋、 遼(契丹)、 後漢、 後周。 5つの王朝、 8つの姓、 11人の皇帝。 「宰相」。 「太師」。 契丹の耶律徳光が開封に入ったとき、 馮道が会った。 「なぜ来た」。 「城も兵もなく、来ないでいられますか」。 「お前は何の老人だ」。 「無才無徳の痴頑な老人です」。 徳光は笑って、太傅にした。 「天下の民をどう救う」。 「いま、仏が出ても救えない。 皇帝だけが救える」。 契丹は漢人を殺すのをやめた、と伝える。 『資治通鑑』。 「人々はこれを馮道の功とした」。

『長楽老自叙』。 「私は長楽老と自称する。 父に孝、国に忠、 口に不道の言なく、門に不義の財なし。 その他に、恥じることはない」。 「私の家は、 常に貧しかった。 私は、 自分の俸給を、 家族と分け、 残りを、 貧しい人に分けた」。 「私は、 戦乱のとき、 略奪された女を買い戻して、 親元に返した」。

欧陽脩。 『新五代史』「雑伝」。 「廉恥を知らない者は、人でない」。 「馮道は、 自分で長楽老と言い、 その仕えた歴代を、 恥じることなく並べた」。 司馬光。 「臣が主を替えるのは、 妻が夫を替えるようなもの」。 「奸臣の尤なる者」。

954年4月。 73歳。 後周。 柴栄。 北漢を親征しようとし、 馮道が「陛下は唐の太宗ではない」と止め、 柴栄が「私は山のような軍で、 卵のような北漢を潰す」と言い、 馮道が「陛下は山ではない」と。 柴栄は怒って、 馮道を太祖の陵の造営に。 勝って帰ったとき、 馮道は死んでいた。 「文懿」。 瀛王。

九経。 21年。 王朝は四つ変わった。 馮道は、 変わらなかった。 「王朝が変わっても、 民は、 同じ民だから」。 そう言ったかどうか、 分からない。 そう生きた。