概要
五つの王朝、十一人の皇帝に宰相として仕えた。「長楽老」と自称した。欧陽脩と司馬光は恥知らずと書いたが、その間に儒教の経典を木版で刊行させ、民を守った。印刷の歴史では大きな名になる。
所属
五代十国関わったできごと(1)
馮道の儒教経典刊行AD953年 · 宰相本文
馮道。字は可道。 瀛州景城(河北)。 882年。 農家。 「農業と読書」。 唐の末。 劉守光。 幽州。 「諫めて、獄に」。 李存勗の晋。 掌書記。 「馮道の文章は、天下に伝わった」。 後唐。 明宗。 宰相。 927年。 「明宗は文字が読めず、 馮道が古人の言葉を読んで聞かせた」。 「穀貴くして農民は飢え、 穀賤くして農民は傷む」。 聶夷中の詩を読んで聞かせた。 明宗は書き留めさせた。
後唐、 後晋、 遼(契丹)、 後漢、 後周。 5つの王朝、 8つの姓、 11人の皇帝。 「宰相」。 「太師」。 契丹の耶律徳光が開封に入ったとき、 馮道が会った。 「なぜ来た」。 「城も兵もなく、来ないでいられますか」。 「お前は何の老人だ」。 「無才無徳の痴頑な老人です」。 徳光は笑って、太傅にした。 「天下の民をどう救う」。 「いま、仏が出ても救えない。 皇帝だけが救える」。 契丹は漢人を殺すのをやめた、と伝える。 『資治通鑑』。 「人々はこれを馮道の功とした」。
『長楽老自叙』。 「私は長楽老と自称する。 父に孝、国に忠、 口に不道の言なく、門に不義の財なし。 その他に、恥じることはない」。 「私の家は、 常に貧しかった。 私は、 自分の俸給を、 家族と分け、 残りを、 貧しい人に分けた」。 「私は、 戦乱のとき、 略奪された女を買い戻して、 親元に返した」。
欧陽脩。 『新五代史』「雑伝」。 「廉恥を知らない者は、人でない」。 「馮道は、 自分で長楽老と言い、 その仕えた歴代を、 恥じることなく並べた」。 司馬光。 「臣が主を替えるのは、 妻が夫を替えるようなもの」。 「奸臣の尤なる者」。
954年4月。 73歳。 後周。 柴栄。 北漢を親征しようとし、 馮道が「陛下は唐の太宗ではない」と止め、 柴栄が「私は山のような軍で、 卵のような北漢を潰す」と言い、 馮道が「陛下は山ではない」と。 柴栄は怒って、 馮道を太祖の陵の造営に。 勝って帰ったとき、 馮道は死んでいた。 「文懿」。 瀛王。
九経。 21年。 王朝は四つ変わった。 馮道は、 変わらなかった。 「王朝が変わっても、 民は、 同じ民だから」。 そう言ったかどうか、 分からない。 そう生きた。