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Person / 人

フリードリヒ1世(バルバロッサ)

Frederick I Barbarossa
AD1122年頃 – AD1190年6月10日(享年68・推定)
神聖ローマ帝国重要度 4

概要

赤髭の皇帝。イタリアに六度遠征し、ミラノを壊し、レニャーノで負け、教皇と和解した。第三回十字軍に出て、アナトリアの川で溺れ死んだ。山の中で眠り、いつか目覚めるという伝説になった。

所属

神聖ローマ帝国

関わったできごと(1)

レニャーノの戦いAD1176年5月29日 · 皇帝

本文

シュヴァーベン公の家に生まれた。 母はヴェルフ家で、 帝国を二つに割っていた両家の血を一人で持っていた。 1152年、33歳で選ばれた。 赤い髭で、イタリア人がバルバロッサと呼んだ。

イタリアに六度行った。 1155年に戴冠し、ローマの共和派アルノルドを教皇に引き渡して処刑させた。 1158年、ロンカリアで皇帝の権利を並べた。 1162年、ミラノを取って、壊した。 1176年、レニャーノで負けた。 1177年、ヴェネツィアで教皇アレクサンデル3世の足元に跪いた。

ドイツでは、ハインリヒ獅子公と争い、 1180年に取り潰した。 1184年、マインツの祭りで二人の息子を騎士にし、 7万人が集まったと年代記は書く。 帝国の宮廷が最も華やかだった年になる。

1188年、67歳で十字軍を誓った。 陸路で行った。 1190年6月10日、キリキアのサレフ川で、 馬で渡ろうとして、あるいは水浴びをして、溺れた。 軍は散り、遺体は酢で煮て骨にし、 骨をアンティオキアに埋め、肉をタルソスに埋めた、と言われる。

キュフホイザーの山の中で眠っている、 髭が石の机を三度巻いたら目覚めて帝国を再興する、という伝説になった。 19世紀のドイツがそれを掘り起こし、 1941年にヒトラーはソ連侵攻を「バルバロッサ作戦」と名づけた。