概要
皇帝バルバロッサの騎士を、北イタリアの都市同盟の歩兵が破った。皇帝は落馬して死んだと思われ、数日後にパヴィアに現れた。都市が皇帝から自治を勝ち取り、イタリアの国歌にこの名が出てくる。
場所
レニャーノ
45.59°N 8.91°E · イタリア・ロンバルディア州
45.59°N 8.91°E · イタリア・ロンバルディア州
関わった人(1)
フリードリヒ1世(バルバロッサ)AD1122年頃–AD1190年6月10日 · 皇帝本文
フリードリヒ1世は北イタリアの都市に皇帝の権利を取り戻そうとした。 1158年のロンカリアの帝国議会で、 市の裁判権、関税、通行税、貨幣鋳造権が皇帝のものだと宣言した。 1162年、抵抗したミラノを壊し、住民を追い出し、塩をまいた。
1167年、ミラノ、クレモナ、ブレシア、ベルガモ、マントヴァが ロンバルディア同盟を作った。 教皇アレクサンデル3世が後ろにつき、 同盟の新しい砦は教皇の名でアレッサンドリアと名づけられた。
1176年5月29日、レニャーノ。 皇帝の騎士3000に、同盟の歩兵と騎兵。 歩兵は「カロッチョ」(都市の旗を立てた牛車)の周りに槍を並べて動かなかった。 皇帝が落馬して見えなくなり、帝国軍は崩れた。 皇帝は死んだと思われ、皇后は喪服を着た。 数日後、皇帝はパヴィアに現れた。
翌年ヴェネツィアで教皇と和解し、 1183年のコンスタンツの和約で、都市の自治を認めた。 皇帝の名目上の宗主権は残り、実権は都市に残った。
19世紀のイタリア統一運動で、この戦いは 外国の支配に勝った民族の記憶として掘り起こされた。 ヴェルディがオペラにし、 国歌「イタリアの兄弟」の第4節に「レニャーノ」の名がある。