概要
廬山の麓の廃れた書院を建て直し、学規を定めた。父子の親、君臣の義から始まる五つの教え。朱子学の学校の手本になり、朝鮮の書院と日本の藩校がこれを写した。
場所
廬山
29.55°N 115.98°E · 中国・江西省
29.55°N 115.98°E · 中国・江西省
関わった人(1)
朱熹(朱子)AD1130年–AD1200年 · 再興本文
白鹿洞は廬山の南麓にある。 唐の李渤がここで白い鹿を飼ったのが名の起こり。 南唐と宋の初めに学校があり、それから廃れていた。
朱熹は1179年、南康軍(いまの九江)の知事として赴任した。 翌年、跡地を探して書院を建て直し、 書物を集め、田を寄進させ、学規を掲げた。
『白鹿洞書院掲示』。 父子に親あり、君臣に義あり、夫婦に別あり、長幼に序あり、朋友に信あり。 博く学び、審らかに問い、慎んで思い、明らかに弁じ、篤く行う。 言は忠信、行は篤敬。忿を懲らし欲を窒ぎ、善に遷り過ちを改む。 義を正して利を謀らず、道を明らかにして功を計らず。 己の欲せざる所は人に施すなかれ。
科挙のための学校ではない。 人としてどう学ぶかの学校、と朱熹は書いた。 実際には、この学規が以後の書院の定型になり、 朝鮮の陶山書院や日本の藩校の壁に掛かった。
宋のあと何度も焼けて建て直され、 いまの建物は清のもので、廬山の観光地になっている。