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Event / できごと

トマス・ベケットの殺害

Murder of Thomas Becket
AD1170年12月29日
重要度 4

概要

王が「誰かこの厄介な司祭を片づけてくれぬのか」と漏らし、四人の騎士が大聖堂で大司教を斬った。王は裸足で墓に詣でて鞭を受けた。墓はチョーサーの巡礼の目的地になる。

場所

カンタベリー
51.28°N 1.08°E · イングランド

関わった人(2)

トマス・ベケットAD1119年頃–AD1170年12月29日 · 殺された大司教ヘンリー2世AD1133年3月5日–AD1189年7月6日 · 王

本文

ヘンリー2世は、大法官として親友だったトマスを 1162年にカンタベリー大司教にした。 教会を王の手に収めるつもりだった。

トマスは大司教になると、着るものを変え、 王が聖職者を国王裁判所で裁こうとすると拒んだ。 1164年、クラレンドン憲章を拒んでフランスに逃げた。 6年の亡命。 教皇とフランス王が仲介し、1170年12月1日に帰った。 帰る前に、王の代わりに王子を戴冠した司教たちを破門していた。

ノルマンディーで王がそれを聞き、怒って言った。 「誰かこの厄介な司祭を片づけてくれる者はいないのか」 言い方は伝えによって違う。 四人の騎士がそれを聞いて海を渡った。

12月29日の夕方、四人は大聖堂に押し入った。 修道士が扉を閉めようとするのを、トマスが止めた。 「教会を城にしてはならない」。 北の袖廊で、剣で頭を割られた。 脳が床に散った、と目撃した修道士は書く。

3年後、聖人になった。 王は1174年に裸足でカンタベリーまで歩き、 墓の前で修道士に鞭を打たれた。 墓は英国で最大の巡礼地になり、チョーサーの巡礼者もそこへ向かう。 1538年、ヘンリー8世が墓を壊し、骨を散らし、 記録から名を消すよう命じた。

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