概要
貴族の争いが武士の力で決着した。武士なしでは政治が動かないことが誰の目にも明らかになる。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
本文
天皇と上皇の対立、 そして摂関家の内部対立が重なった。
どちらの側も、武士を動員した。
保元の乱では、親子・兄弟が敵味方に分かれている。 平清盛と源義朝は、同じ側についた。
3年後の平治の乱で、その二人が争う。 清盛が勝ち、義朝は殺される。
義朝の子・頼朝は、伊豆へ流された。
意味は、貴族の争いが 武士の力でしか決着しなくなったことになる。
それまで、武士は貴族に雇われる存在だった。 その武士がいなければ政治が動かない。
慈円は『愚管抄』で、 保元の乱から「武者の世」になったと書いた。
同時代の人が、そう認識していた。