概要
武士が初めて政権の頂点に立った。ただし貴族のやり方を踏襲したため、武士の支持を失っていく。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
関わった人(1)
平清盛AD1118年–AD1181年 · 当人本文
平清盛が太政大臣になった。
武士が朝廷の最高位に就いた、最初になる。
娘を天皇に嫁がせ、生まれた子を天皇に立てた。 藤原氏と同じやり方になる。
そこが問題だった。
貴族のやり方を踏襲したため、 「平家にあらずんば人にあらず」と言われる 一族の独占が起きる。
そして、他の武士に恩賞を分けられない。
武士が武士を支持する仕組みを作らなかった。
日宋貿易に力を入れた。 大輪田泊を改修し、 宋銭を大量に輸入している。 それが日本の貨幣経済を進めた。
清盛の死の4年後、平氏は壇ノ浦に沈む。
源頼朝は、この失敗を見ていた。 だから京都から離れた鎌倉に幕府を置く。