概要
文官に蔑まれてきた武官が、王の行幸の途中で蜂起し、文官を殺し、王を廃した。以後100年、武臣が政権を握り、崔氏が4代60年続く。日本の武家政権と同じ頃に、同じ形が半島で起きた。
場所
開城
37.97°N 126.55°E · 朝鮮民主主義人民共和国(高麗の都)
37.97°N 126.55°E · 朝鮮民主主義人民共和国(高麗の都)
本文
高麗は文官が武官を見下す国だった。 武官は文官より昇進の上限が低く、 王の宴で若い文官が老いた将軍の髭に火をつけて笑った。
1170年、毅宗が普賢院へ行幸した。 道中の武術の演武で、老将軍の李紹膺が若い文官に頬を打たれた。 その夜、鄭仲夫、李義方、李高が兵を動かし、 「文官の冠を被る者は、下級の役人まで皆殺しにせよ」と命じた。 王は廃され、弟が立てられた。
以後、武臣が武臣を殺して政権が移った。 李義方、鄭仲夫、慶大升、李義旼。 1196年に崔忠献が李義旼を殺し、 崔氏の政権が4代62年続く。 王はいたが、崔氏の私邸で国が動いた。
日本で平清盛が太政大臣になったのが1167年。 源頼朝の幕府が1192年。 半島と列島で、同じ頃に武人の政権ができた。 高麗の武臣政権は、モンゴルの侵入の中で1270年に終わる。