概要
アンジュー伯の子で、エレノアと結婚してスコットランドからピレネーまでを治めた。巡回裁判と陪審の原型を作る。妻と息子たちが反乱し、最後は末子のジョンにも裏切られて死んだ。
関わったできごと(1)
トマス・ベケットの殺害AD1170年12月29日 · 王本文
アンジュー伯ジョフロワと、イングランド王ヘンリー1世の娘マティルダの子。 母は従兄スティーヴンと王位を争って、20年の内戦をした。 息子が21歳で、和解の条件として次の王になった。
1152年、フランス王と離婚したばかりのアキテーヌのエレノアと結婚した。 彼女は11歳上だった。 アキテーヌが加わって、 スコットランドの境からピレネーまで、 フランス王より広いフランスを治めることになった。 「アンジュー帝国」と後世は呼ぶ。
じっとしていなかった。 「王は一日も同じ場所にいない」と側近が書いた。 朝から馬に乗り、宮廷は追いかけた。 着るものに構わず、赤毛で、脚が曲がっていた。
巡回裁判官を各地に送り、 土地争いを12人の隣人の宣誓で決めさせた。 陪審の原型になる。 国王裁判所が領主裁判所より早くて安いので、人はそちらへ行った。 コモン・ローの始まりを、ここに置くことが多い。
トマス・ベケットの件で教皇に赦しを乞い、 1173年、妻と息子たちが反乱した。 妻を16年幽閉した。 長男ヘンリーは反乱の途中で病死し、 次男リチャードがフランス王と組んで攻めてきた。 1189年、負けて降り、 反乱に加わった者の名簿に末子ジョンの名を見つけて、 「もう何も気にしない」と言って死んだ。 シノンで、7月6日。