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Person / 人

朱熹(朱子)

Zhu Xi
AD1130年 – AD1200年(享年70・推定)
重要度 5

概要

四書を選んで注を付け、理と気で世界を説いた。役人としては9年、あとは教えて書いた。生前は「偽学」として弾圧され、死んで100年で科挙の正解になる。以後600年、東アジアの読書人はこの本で試験を受けた。

所属

関わったできごと(1)

朱熹の白鹿洞書院AD1179年 · 再興

本文

福建の尤渓に生まれた。父は役人で、 子供のときに天の上に何があるかを尋ねて父を困らせた、と伝わる。 14歳で父が死に、その友人たちに預けられた。 19歳で進士。

役人としては、生涯で9年ほどしか勤めていない。 残りは祠禄(名目の職の俸給)をもらって、 書いて、教えた。

李侗に学んで、程頤の学統を継いだ。 「理」と「気」。 世界は理という原理と、気という素材でできている。 人の本性は理で善だが、気が濁ると悪になる。 だから学ぶ。 「格物致知」、物を一つ一つ究めれば理に至る。

『大学』『論語』『孟子』『中庸』を四書と呼んで一組にし、 注を付けた。『四書集注』。 朱熹の死後100年で、元がこれを科挙の教科書にした。 以後、明・清の科挙も、朝鮮の科挙も、 この注で答えないと落ちた。

1175年、陸九淵と鵝湖で議論した。 陸は「心即理」、朱は「性即理」。 王陽明が陸の側を継ぐ。

1196年、「偽学」として弾圧された。 韓侂冑が政敵を「道学」でくくって追い、 朱熹の弟子は流され、 朱熹自身も罷免され、「朱熹を斬れ」という上書もあった。 1200年に死んだ。 葬儀に集まる者を、役人は監視した。 1241年、孔子廟に祀られた。