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Person / 人

藤原純友

Fujiwara no Sumitomo
? – AD941年
日本重要度 3

概要

伊予の役人が海賊の頭になり、将門と同じ年に瀬戸内で蜂起した。大宰府を焼いた。追討され、伊予で捕えられて獄死した。将門と京で会って東西から攻める約束をした、という話は後の作り。

関わったできごと(1)

藤原純友の乱AD939年 · 首領

本文

藤原純友。 北家。 長良の孫の良範の子、と『尊卑分脈』。 基経の従兄弟の子。 中央の家で、地方に下る家。 父は大宰少弐で、 若くして死んだ。

伊予掾。 930年代。 国司の三等官。 伊予守は紀淑人。 936年、瀬戸内の海賊。 朝廷は淑人に鎮圧させ、 淑人は海賊に田を与えて帰農させた。 純友はそのとき、鎮圧の側にいた、 と『本朝世紀』。 それから、海賊になった。 任期が終わって、 帰らず、 日振島。 「純友は海賊の首領、船千余艘」。

939年12月26日。 藤原子高。 備前介。 摂津の須岐駅。 「耳を切り、鼻を削ぎ、妻を奪った」。 子高は純友の従者、藤原文元を、 「純友の乱行」として上京して訴えるところだった。 純友が文元を守った。 文元は備前で子高に領地を奪われた者。 海賊は、国司に土地を奪われた者たちだった。

940年1月、 朝廷は純友に従五位下。 「海賊追捕使」小野好古。 2月、将門が死んだ。 6月、純友。 「淡路の兵庫」。 武器。 8月、伊予と讃岐。 讃岐介藤原国風が逃げた。 10月、大宰府へ。 941年5月19日、大宰府。 「政庁を焼き、財物を奪う」。

6月20日、博多。 大蔵春実。 「純友の党、藤原恒利が降って」 純友の船の場所を教えた。 火。 「賊船八百艘」。 純友は「小船で伊予に逃げ」、 橘遠保が捕えた。 「獄中で死んだ」。 「京に首を送った」。 息子、重太丸。

将門と純友が比叡山で京を見下ろして、 「私が天皇に、あなたが関白に」と言った、と『大鏡』。 100年後の話。 将門の乱と純友の乱が同じ年に起きたことを、 京は、偶然と思えなかった。