概要
伊予の役人が海賊の頭になり、将門と同じ年に瀬戸内で蜂起した。大宰府を焼いた。追討され、伊予で捕えられて獄死した。将門と京で会って東西から攻める約束をした、という話は後の作り。
関わったできごと(1)
藤原純友の乱AD939年 · 首領本文
藤原純友。 北家。 長良の孫の良範の子、と『尊卑分脈』。 基経の従兄弟の子。 中央の家で、地方に下る家。 父は大宰少弐で、 若くして死んだ。
伊予掾。 930年代。 国司の三等官。 伊予守は紀淑人。 936年、瀬戸内の海賊。 朝廷は淑人に鎮圧させ、 淑人は海賊に田を与えて帰農させた。 純友はそのとき、鎮圧の側にいた、 と『本朝世紀』。 それから、海賊になった。 任期が終わって、 帰らず、 日振島。 「純友は海賊の首領、船千余艘」。
939年12月26日。 藤原子高。 備前介。 摂津の須岐駅。 「耳を切り、鼻を削ぎ、妻を奪った」。 子高は純友の従者、藤原文元を、 「純友の乱行」として上京して訴えるところだった。 純友が文元を守った。 文元は備前で子高に領地を奪われた者。 海賊は、国司に土地を奪われた者たちだった。
940年1月、 朝廷は純友に従五位下。 「海賊追捕使」小野好古。 2月、将門が死んだ。 6月、純友。 「淡路の兵庫」。 武器。 8月、伊予と讃岐。 讃岐介藤原国風が逃げた。 10月、大宰府へ。 941年5月19日、大宰府。 「政庁を焼き、財物を奪う」。
6月20日、博多。 大蔵春実。 「純友の党、藤原恒利が降って」 純友の船の場所を教えた。 火。 「賊船八百艘」。 純友は「小船で伊予に逃げ」、 橘遠保が捕えた。 「獄中で死んだ」。 「京に首を送った」。 息子、重太丸。
将門と純友が比叡山で京を見下ろして、 「私が天皇に、あなたが関白に」と言った、と『大鏡』。 100年後の話。 将門の乱と純友の乱が同じ年に起きたことを、 京は、偶然と思えなかった。