概要
瀬戸内の海賊を率いて、淡路と讃岐の国衙を襲い、大宰府を焼いた。将門の乱と同じ年で、朝廷は東西から挟まれた。小野好古と源経基が鎮めた。承平天慶の乱。
場所
日振島
33.24°N 132.16°E · 愛媛県宇和島市
33.24°N 132.16°E · 愛媛県宇和島市
関わった人(1)
藤原純友?–AD941年 · 首領本文
藤原純友は北家の出で、 伊予の掾(三等官)として赴任し、 任期が終わっても帰らず、 日振島を根城に海賊を率いた。 瀬戸内の海賊は、 国司が海で徴収する税と争う土豪と、 食い詰めた者の集まりだった。 936年、朝廷は伊予守紀淑人に鎮圧させ、 純友もその下にいた、と『日本紀略』。
939年12月、 備前介藤原子高を摂津で襲った。 耳を切り、鼻を削ぎ、妻を奪った。 子高は純友の部下を訴えに京へ向かっていた。 将門が上野で新皇を名乗った、同じ月。 京では「純友と将門が比叡山で天下を分ける約束をした」と噂した。 『大鏡』。 純友が「私は関白に」と言った、と。 史実ではないが、京の怖れは本当だった。
朝廷は純友に従五位下を与えた。 懐柔。 将門が討たれると、 純友に向かった。
940年8月、伊予と讃岐の国衙を襲った。 淡路の武器庫を奪った。 941年5月、大宰府。 焼いた。 大宰権帥の藤原文範を追った。
6月20日、博多湾。 小野好古と源経基、大蔵春実。 純友の船800隻。 火攻めで、船を焼かれた。 純友は伊予へ逃げ、 橘遠保に捕えられて、獄で死んだ。 子の重太丸は斬られた。
承平天慶の乱。 「東の将門、西の純友」。 朝廷は自分の軍を持たず、 武士に鎮めさせた。 経基は清和源氏の祖。 その孫が頼信、頼義、義家。