概要
アブド・アッラフマーン3世が「信徒の長」を名乗った。バグダードとカイロと、三人のカリフが並ぶ。コルドバは人口数十万、図書館に40万巻、街灯があった。ヨーロッパで最大の都市だった。
場所
37.89°N -4.78°E · スペイン・アンダルシア州
関わった人(1)
アブド・アッラフマーン3世AD891年–AD961年 · カリフ本文
後ウマイヤ朝はアミール(首長)を名乗っていた。 カリフはバグダードに一人。 アブド・アッラフマーン3世は912年、21歳で継いだ。 国は崩れていた。 セビリャ、トレド、 南のイブン・ハフスーンの反乱が30年続いていた。
20年で立て直した。 928年、ボバストロ。イブン・ハフスーンの砦。 息子たちを降し、 父の遺体を掘り出して、 キリスト教式に埋葬されていた、と示して、 コルドバの門に磔にした。
929年1月16日、金曜。 「信徒の長」(アミール・アル・ムウミニーン)。 「神の宗教の勝利者」(アンナースィル・リディーニッラー)。 カリフ。 布告。 「我々は他の誰よりもこの称号にふさわしい」。 北アフリカで、ファーティマ朝が920年からカリフを名乗っていた。 シーア派の。 それに対する答えでもあった。 バグダードのアッバース朝、 カイラワーンのファーティマ朝、 コルドバのウマイヤ朝。 三人。
936年、マディーナト・アッザフラー。 コルドバの西8キロ。 「ザフラーの都」。 25年、1万人が建てた。 宮殿、庭園、 水銀を張った池が光を天井に映した、と伝わる。 北の王たちの使節がそこに来た。 オットー1世の使節、ゴルツェのヨハネスが3年待たされた。
コルドバ。 人口は10万から50万、推定が揺れる。 モスク、 70の図書館、 街灯、 舗装、 公衆浴場が数百。 「世界の飾り」とザクセンの修道女ロスヴィータが書いた。
961年に死んだ。70歳。 ノートが見つかった。 「私は50年治めた。 平和と勝利の中で。 富と名誉と、人が望むものを持った。 その中で、純粋に幸福だった日を数えたら、14日だった」。
ザフラーは1010年の内乱で焼かれ、 1031年、カリフ国は分裂して消えた。 100年で。