概要
領主ではなく教皇に直属する修道院として作られた。ここから教会を世俗の手から取り戻す運動が広がる。
場所
クリュニー
46.43°N 4.66°E · フランス
46.43°N 4.66°E · フランス
本文
それまでの修道院は、 土地を寄進した領主の影響下にあった。 院長を領主が任命し、収入も握る。
クリュニーは、設立の際に 教皇へ直属すると定められた。 間に誰も入らない。
そこから改革が広がった。
聖職売買をやめる。 聖職者の妻帯をやめる。 そして、俗人が聖職を任命することをやめる。
各地の修道院がクリュニーの傘下に入り、 数百に達した。 一つの院長が全体を統轄する形になる。
この運動から出た人物が、 教皇グレゴリウス7世として 皇帝と正面から争うことになる。 カノッサに続く流れになる。
教会が世俗の権力から離れようとする動きが、 一つの修道院の設立条項から始まった。