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Event / できごと

マヤ低地の崩壊

Classic Maya collapse
AD900年頃
重要度 4

概要

南部の都市が次々に放棄された。干ばつ、戦争、環境の疲弊が挙げられるが、決着していない。

場所

ティカル
17.22°N -89.62°E · グアテマラ

本文

南部低地の都市が、次々に放棄された。

8世紀から9世紀にかけて、 碑文の日付が止まっていく。 最後の長期暦の日付が刻まれた後、 その都市の記録が途絶える。

人口が数百万規模で減ったとされる。

原因として挙げられるのが複数ある。

湖底の堆積物の分析から、 数十年単位の干ばつが繰り返されたことが分かっている。

戦争も激化していた。 碑文の内容が、後期になるほど戦勝の記録に偏る。

森林の伐採と土壌の疲弊も指摘される。

一つの原因ではなく、 重なったという説明が主流になっている。

北部のチチェン・イッツァなどは、この後も続いた。 マヤの人々が消えたのではない。 都市という仕組みが立ち行かなくなった。

動画(1)

3. The Mayans - Ruins Among the TreesFall of Civilizations碑文の日付が止まる順序を都市ごとに追い、崩壊が一度に起きたのではないことを示す

出典(2)

ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン(鬼澤忍 訳) 国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源第6章 乖離
ジャレド・ダイアモンド(楡井浩一 訳) 文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの第5章 マヤの崩壊

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