概要
菅原道真が建議した。唐が衰え、航海の危険に見合わない、と。以後、日本は大陸の制度を写す段階から、自分の形を作る段階に入る。
場所
京都
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
35.03°N 135.76°E · 日本・京都府
関わった人(1)
菅原道真AD845年–AD903年 · 建議本文
894年、菅原道真が大使に任じられた。
そして、中止を建議した。
理由を二つ挙げている。
唐が衰えている。
在唐の僧・中瓘の報告で、その状況が分かっていた。
そして、航海の危険が利益に見合わない。
630年から260年。
派遣は十数回で、 そのうち何度かは船が沈み、人が死んでいる。
議は容れられた。
以後、正式な使節は出ていない。
ただし、交流が絶えたわけではない。
商人の船が行き来し、 僧も商船で渡った。
国が費用と危険を負う形をやめた、ということになる。
制度を写す段階から、 自分の形を作る段階に入った、と後世は説明する。
仮名が育ち、和歌が公の場に出て、 『古今和歌集』が編まれるのは、この少しあとになる。