概要
学者から右大臣まで上り、藤原氏に讒言されて大宰府に流された。死後の天変が怨霊と恐れられ、やがて学問の神になる。
関わったできごと(1)
遣唐使の中止AD894年 · 建議本文
学者の家に生まれた。
祖父も父も文章博士で、 本人も33歳で同じ職に就く。
宇多天皇に重用された。
藤原氏を抑えたい天皇にとって、 家柄に頼らない学者は都合がよかった。
遣唐使の中止を建議している。
唐が衰え、航海の危険に見合わないと。
以後、遣唐使は出ていない。
899年、右大臣になった。
左大臣は藤原時平。
二年後、時平の讒言で大宰府に左遷される。
天皇の廃立を謀ったという罪だった。
大宰府で二年、失意のうちに死んだ。
そのあと、都で異変が続く。
時平が39歳で死に、皇太子が死に、 清涼殿に雷が落ちて公卿が死んだ。
怨霊と恐れられ、北野に祀られた。
その神が、いつしか学問の神になる。