概要
幕府の使節として欧米を見て回り、『学問のすゝめ』で新しい世の考え方を広めた。
関わったできごと(1)
『学問のすゝめ』1872年 · 著者本文
下級武士の家に生まれ、 「門閥制度は親の敵(かたき)で御座る」と書いた。 父が学問の才を身分ゆえに生かせず死んだことを指している。
長崎と大坂で蘭学を学び、 横浜で蘭語が通じないことに衝撃を受けて英語に切り替えた。
幕府の使節として三度欧米へ行き、 制度や仕組みを見て回った。 病院の運営費はどこから出るのか、 選挙とは何をするのかを、いちいち聞いて記録している。
『学問のすゝめ』は300万部以上売れたとされる。 当時の人口の1割に近い。
一方で、後年の「脱亜論」など、 アジアに対する見方には批判がある。 政府に仕えず、慶應義塾の経営と著述で通した。