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Person / 人

近肖古王

Geunchogo of Baekje
? – AD375年
百済重要度 3

概要

百済の第13代。馬韓の残りを取り、高句麗の王を平壌で殺し、東晋に朝貢して鎮東将軍の号を受けた。倭の王に七支刀を贈った。刀は石上神宮にあり、「泰和四年」の銘がある。博士高興が『書記』を編んだが、残っていない。

関わったできごと(1)

近肖古王の平壌攻めAD371年 · 王

本文

近肖古王。「肖古王の再来」。第5代肖古王は166〜214年。「近」は近い、後の。 比流王の次男。346年、契王が死んで即位。契王は別の家で、王家が交代し、古い王の名を取って正統を示したと考える人がいる。近肖古、近仇首、近蓋鹵。三代みな「近」。

『古事記』の照古王。阿知吉師に牡馬と牝馬を、和邇吉師に論語と千字文を。千字文は6世紀にできたので古事記は時代を混ぜた。

馬韓。目支国。全羅道。369年の「南蛮忱弥多礼」。『日本書紀』は倭が取って百済に与えたと書き、百済記を写して主語を変えたと読む人が多い。 369年、雉壌。太子が5000を捕えた。371年、平壌。3万。矢。故国原王。 『三国史記』の高句麗本紀は「王が流れ矢に」、百済本紀は「王が故国原王を殺した」。同じ本の中で少し違う。金富軾が両方の記録を写した。 372年、東晋の鎮東将軍、領楽浪太守。『晋書』。百済が中国の正史に出た最初。楽浪は313年に高句麗が滅ぼした郡。平壌を攻めた翌年に、その太守の名を。取るつもりだった。

七支刀。1874年、石上神宮の大宮司菅政友が錆を落として文字を見た。「泰□四年五月十六日丙午正陽、百練の鉄の七支刀。百兵を避ける。侯王に供する」。裏に「百済王の世子、奇生聖音、倭王の旨のために造る。後世に伝え示せ」。 旨は意向。倭王が求めた、倭王に与える。どちらか。錆で読めない。一つの刀が二つの国を150年争わせている。

375年、死んだ。30年。百済の最盛期。倭と組んだ最初の王。