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Person / 人

ジョット

Giotto di Bondone
AD1267年頃 – AD1337年1月8日(享年70・推定)
フィレンツェ重要度 4

概要

羊飼いの子が石に羊を描いているのをチマブーエが見た、という伝説。アッシジ、パドヴァ、フィレンツェ。人が地に足をつけ、悲しみが顔に出る絵を描いた。ダンテが『神曲』で名を出し、フィレンツェの鐘楼を設計した。

関わったできごと(1)

ジョットのスクロヴェーニ礼拝堂AD1305年 · 画家

本文

ジョット・ディ・ボンドーネ。 ヴェスピニャーノ、あるいはフィレンツェ。 1267年頃。 ヴァザーリの話。 10歳の羊飼いが、平らな石に羊を描いていた。 チマブーエが通りかかって、弟子にした。 ヴァザーリの話。 チマブーエが描いた顔の鼻に、 ジョットが蠅を描き、 師が払おうとした。

アッシジ。 聖フランチェスコ大聖堂の上堂。 28の場面。 1290年代。 ジョットの作かどうか、 100年争われている。 「アッシジ問題」。 パドヴァは確か。 1303〜05年。 フィレンツェ、サンタ・クローチェ。 バルディ礼拝堂、ペルッツィ礼拝堂。 聖フランチェスコの生涯、 洗礼者ヨハネ。 1320年代。 「オニサンティの聖母」。 ウフィツィ。 玉座。 重さ。 膝が布の下にある。

ダンテ、『煉獄篇』11歌。 「絵ではチマブーエが野を持つと思われていたが、 今はジョットが叫ばれ、 前者の名は暗い」。 1310年代。 ジョットの生前に。 ボッカッチョ、『デカメロン』6日5話。 ジョットは醜く、 フォレーゼ・ダ・ラバッタも醜く、 雨の中で泥だらけで、 互いに「誰も君を画家と思わない」。 「誰も君を法律家と思わない」。 「ジョットは、 自然が作ったもので、 彼の筆で本物と見紛わないものはないほどの才能を持ちながら、 『マエストロ』と呼ばれることを拒んだ」。 1334年、フィレンツェの大聖堂の工事監督。 鐘楼。 「ジョットの鐘楼」。 設計。 下の2段。 死んだ。 1337年1月8日。 サンタ・レパラータに葬られた。 1970年、その場所で、 背が低く、 首が太く、 顔料で歯が汚れた骨が出た。 本人かは、分からない。

ナポリ。 ミラノ。 アヴィニョン? 弟子。 タッデオ・ガッディ、 マーゾ・ディ・バンコ。 「ジョッテスキ」。 100年。 マサッチオが1420年代に、 ジョットに戻った。 ジョットから始めた。 ミケランジェロがジョットを模写した。 ルーヴルにその素描がある。