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Person / 人

後醍醐天皇

Emperor Go-Daigo
AD1288年 – AD1339年(享年51・推定)
日本重要度 5

概要

即位した時から幕府を倒すつもりだった。二度失敗して隠岐に流され、脱出して倒した。自分で政治を執り、失敗し、吉野の山に逃げて、そこで死んだ。「玉骨はたとひ南山の苔に埋むるとも、魂魄は常に北闕の天を望まん」。

所属

日本

関わったできごと(1)

建武の新政AD1333年 · 天皇

本文

尊治。 後宇多天皇の第二皇子。 大覚寺統。 持明院統と交互に。 「両統迭立」。 幕府が決めた。 1318年、31歳で即位。 「中継ぎ」。 甥(邦良親王)に譲るはずだった。 譲らなかった。

宋学。 玄恵。 『資治通鑑』。 朱子学。 「大義名分」。 「延喜・天暦の治」。 醍醐天皇の。 だから「後醍醐」。 自分で選んだ。 生前に。 記録所。 政治を自分で。 1321年、院政を止めた。 父の。

1324年、正中の変。 日野資朝、日野俊基。 「無礼講」。 密議。 六波羅が。 資朝が佐渡へ。 天皇は「知らない」。 1326年、邦良親王が死んだ。 幕府は持明院統の量仁親王を皇太子に。 1331年、元弘の変。 吉田定房が密告した。 「天皇のためを思って」。 笠置。 赤坂、楠木。 10月、捕えられた。 1332年、隠岐。 光厳天皇。 1333年閏2月、脱出。 名和長年。 船上山。 「隠岐から帰った帝は、 神が乗り移ったようだった」。 5月、幕府が滅んだ。 6月、京。 「建武」。 後漢の光武帝の中興の年号。

1336年12月、吉野。 「神器は偽物」。 南朝。 1339年8月16日、吉野の金輪王寺。 52歳。 「玉骨はたとひ南山の苔に埋むるとも、 魂魄は常に北闕の天を望まん」。 『太平記』。 左手に法華経の五巻、 右手に剣。 そう伝える。 如意輪寺。 北を向いて葬られた。 天皇の陵で、北向きは、これだけ。

1911年、 「南北朝正閏問題」。 どちらが正統か。 国会で。 南朝。 教科書が書き換えられた。 後醍醐と正成が正義に、 尊氏が逆賊に。 1934年、 中島久万吉商工相が「尊氏は偉かった」と書いた随筆で、 辞任。 戦後、 逆に戻った。 『太平記』は、 後醍醐に厳しい。 「君の徳に欠けるところがあった」。 足利の時代に書かれたから、 だけではない。