概要
即位した時から幕府を倒すつもりだった。二度失敗して隠岐に流され、脱出して倒した。自分で政治を執り、失敗し、吉野の山に逃げて、そこで死んだ。「玉骨はたとひ南山の苔に埋むるとも、魂魄は常に北闕の天を望まん」。
所属
日本関わったできごと(1)
建武の新政AD1333年 · 天皇本文
尊治。 後宇多天皇の第二皇子。 大覚寺統。 持明院統と交互に。 「両統迭立」。 幕府が決めた。 1318年、31歳で即位。 「中継ぎ」。 甥(邦良親王)に譲るはずだった。 譲らなかった。
宋学。 玄恵。 『資治通鑑』。 朱子学。 「大義名分」。 「延喜・天暦の治」。 醍醐天皇の。 だから「後醍醐」。 自分で選んだ。 生前に。 記録所。 政治を自分で。 1321年、院政を止めた。 父の。
1324年、正中の変。 日野資朝、日野俊基。 「無礼講」。 密議。 六波羅が。 資朝が佐渡へ。 天皇は「知らない」。 1326年、邦良親王が死んだ。 幕府は持明院統の量仁親王を皇太子に。 1331年、元弘の変。 吉田定房が密告した。 「天皇のためを思って」。 笠置。 赤坂、楠木。 10月、捕えられた。 1332年、隠岐。 光厳天皇。 1333年閏2月、脱出。 名和長年。 船上山。 「隠岐から帰った帝は、 神が乗り移ったようだった」。 5月、幕府が滅んだ。 6月、京。 「建武」。 後漢の光武帝の中興の年号。
1336年12月、吉野。 「神器は偽物」。 南朝。 1339年8月16日、吉野の金輪王寺。 52歳。 「玉骨はたとひ南山の苔に埋むるとも、 魂魄は常に北闕の天を望まん」。 『太平記』。 左手に法華経の五巻、 右手に剣。 そう伝える。 如意輪寺。 北を向いて葬られた。 天皇の陵で、北向きは、これだけ。
1911年、 「南北朝正閏問題」。 どちらが正統か。 国会で。 南朝。 教科書が書き換えられた。 後醍醐と正成が正義に、 尊氏が逆賊に。 1934年、 中島久万吉商工相が「尊氏は偉かった」と書いた随筆で、 辞任。 戦後、 逆に戻った。 『太平記』は、 後醍醐に厳しい。 「君の徳に欠けるところがあった」。 足利の時代に書かれたから、 だけではない。