← 地図で見る
Person / 人

顧愷之

Gu Kaizhi
AD344年頃 – AD406年頃(享年62・推定)
東晋重要度 3

概要

無錫の人。「才絶・画絶・痴絶」。人物を描くとき何年も目を入れず、「伝神は目にある」と言った。維摩の像を寺の壁に描いて百万銭を集めた。『画雲台山記』は最古の画論。桓温と桓玄に仕えて生き延び、62歳で死んだ。

関わったできごと(1)

顧愷之「女史箴図」AD380年頃 · 画家

本文

顧愷之。字は長康。小字は虎頭。無錫。344年頃。 桓温の参軍。桓温は「愷之の体には痴と黠が半分ずつ。合わせるとちょうど良い」。才絶、画絶、痴絶。三絶。 桓温の墓の前で泣いた。「山が崩れ海が枯れるように」。「声は雷が山を裂き、涙は河が海に注ぐ」。

殷仲堪は片目だった。肖像に「明るく点を打って雲が月を隠すように」。 人物を描くとき何年も目を入れなかった。「目に神がある」。伝神写照、正に阿堵の中に在り。阿堵は「これ」。 裴楷の頬に三本の毛を足した。「彼はそれで神が出た」。 謝鯤を岩と谷の中に。「この人は山水の中に置くべき」。

364年、建康の瓦官寺。寄付。「私は百万」。貧しいのに。壁を一枚。維摩詰。一か月。目を入れる日。「一日目は十万、二日目は五万、三日目は自由」。光が寺に満ちた。百万が集まった。 痩せて病を見せ、机に寄って言葉を忘れた維摩。中国の仏画の型に。興福寺の維摩も。

『女史箴図』。『洛神賦図』。曹植と洛水の神。物語を一巻に。宋の模写が三つ。北京、遼寧、フリーア。『列女仁智図』。 『画雲台山記』。張道陵が弟子を試す山の描き方。最古の画論。「画は人が最も難しく、次に山水、次に犬馬」。 「以形写神」。形で神を写す。「遷想妙得」。思いを移して妙を得る。中国の絵画理論の最初の言葉。

痴。桓玄が蟬の隠れる柳の葉を「これを持てば姿が見えない」。持って桓玄の前に立ち、桓玄が「見えない」と言い、喜んで桓玄の前で小便をした。 絵を箱に入れて桓玄に預けた。桓玄は箱の後ろを開けて絵を取り、封をそのままにした。「絵が神になって飛んで行った」。 痴か黠か。両方。桓玄の時代を生き延びた。散騎常侍。406年頃。62歳。 一枚も本物が残っていない。全部写し。写しで知られる最初の画家。