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Person / 人

北条義時

Hōjō Yoshitoki
AD1163年 – AD1224年(享年61・推定)
鎌倉幕府重要度 3

概要

頼朝の死後の権力闘争を生き残り、承久の乱で上皇の軍を破った。朝廷が武家に敗れる形を、初めて作った人になる。

関わったできごと(1)

承久の乱AD1221年 · 幕府側

本文

北条時政の子で、頼朝の妻・政子の弟になる。

頼朝の死後、幕府の中で殺し合いが続いた。

梶原景時、比企能員、畠山重忠。

父の時政も、後妻の縁者を将軍に立てようとして 政子と義時に追放された。

義時が、残った。

三代将軍実朝が暗殺されると、 将軍の位は摂関家から幼児を迎えて空にした。

執権が、幕府を動かす。

1221年、後鳥羽上皇が義時追討の院宣を出す。

朝廷が幕府に戦いを挑んだ、初めての例になる。

御家人は動揺した。

政子が演説し、義時は先手を取って京へ攻め上らせた。

一か月で決着する。

上皇三人を流し、 朝廷の領地を没収して御家人に配った。

朝廷が武家に敗れるという形が、 このとき初めてできた。

その形は、以後650年変わらない。